食のそもそも話 40 ✳︎ 塩の話(後編の後編) 塩を守った人々 〜 どうやって守ったか 〜
さて、昔ながらの塩づくりが禁止された時代、今回はそれを守ろうとした人々、 ” 塩の守り人(もりびと)たち ” のお話です。
海の精さんに見学に行った際、社長さんや部長さんから聞いたお話、また先代の故・村上譲顕(よしあき)社長の音声動画(YouTube )などをもとにしています。
39で書かせて頂いたように日本では昔ながらの塩づくりが政府により禁止されました(1971年〜1997年 塩業近代化臨時措置法)。
近代的な技術革新を求める時代、昔ながらの塩田の場所(例えば瀬戸内海など)は工場を建てるのに適していたために、鉄を作ったり機械をつくったりすることに使われて、昔ながらの塩田は追いやられて無くなって行きました。
それでも諦めなかった人々が全国から集まり、伊豆大島に拠点をつくりました。
気持ちを同じくした先輩から若者まで、皆で暮らして昔ながらの塩を守ろうとしました。
実はその時代は塩田で作る塩ですらミネラルを除いて塩化ナトリウムにかたよっていたとのこと。
そこで塩の守り人たちは、そうではない本来の塩づくり、よりミネラルが残る塩づくりを追求し始めました。
ブロックを積み上げて上から海水を流して蒸発させる方法などが絵や写真で残っています。
また当時はTV番組でも取り上げられ、今でもその映像は残っています。
そうして守り人たちはミネラルバランスが良い昔ながらの塩を復活させたのですが、やはり国から言われてしまいます。
「昔ながらの塩をつくるのは良いが、売ってはダメ」
塩業近代化臨時措置法(1971年〜1997年)
海水を煮詰めただけでもお縄になる時代だったそうです。
そこで頭の良い方がアイデアを出しました。
「これは商売ではなく研究です。昔ながらの塩の味を研究しているのです。それを全国の有料会員(※ )の方々に配って食味のレポートを回収しているのです。研究ですので商売ではありません(言い方はボクの脚色)」
※ 当時昔ながらの塩を求める人々が日本中にいて、
年会費6000円で塩の配布1キロ、それでも欲しいという方が200人〜300人はいたそうです。
(YouTube 「日本人には塩が足りない〜信じ込まされた「塩不足」があなたを蝕む」で海の精の故・村上譲顕社長が語っておられます
https://youtu.be/Unm_cZ6iNmU?si=ZXtCoiqR5zy_Fms2)
国としても研究と言われれば止めることができず、裁判でも勝って、しぶしぶながらOKが出ました。
はじめは200人〜300人だった有料会員の数も、実際に塩が手に入ると分かってからは急速に増えていき、1キロで6000円→3キロで6000円に出来るようになったそうです。
こうして昔ながらの塩が守られました。
時代が進み1997年に塩業近代化臨時措置法が廃止され、経過措置の後、2002年に自由な塩づくり復活しました。
当時の伊豆大島の守り人たちの中から会社が生まれて海の精さんになりました。
また、そのとき散っていった同輩の方も全国で塩づくりを守っています。
2024年1月19日 月田商店・月田瑞志