食のそもそも話 39 ✳︎ 塩の話(後編の前編) 塩づくりを守った人々 〜どうして25年間禁止されたか〜

37と38では塩づくりを知る上で1番大切な「結晶濃度(けっしょうのうど)と2番目に大切な「かん水」について書かせて頂きました。
 
 
(ミネラルと身体の関係については31と32をご参照ください)
 
 
さて、今回は意外と知らない塩づくりを禁止された25年間のお話です。
1972年〜1997年まで、日本の食卓は塩化ナトリウムに限定された「ミネラルが無い塩の時代」を過ごしていました。
そういう国の政策だったのです。
 
 
その25年間は日本では昔ながらの塩づくりが禁止されました(塩業近代化臨時措置法)。
 
 
替わりに、イオン交換膜法(後述)という日本独自の方法で作った塩だけが製造&販売を許されました(※ 1)。
赤いフタの食卓塩と並塩です。
他の塩は販売出来なくなりました。
 
 
理由は2つ。
 

一つ目は、海外とのお付き合いで塩をたくさん輸入しなければならなくなったこと。
そうなると昔ながらの塩は手間ひまをかけている分高くて、それだと価格競争に負けてしまうから。
 
 
二つ目は、手間ひまをかけているということは大変な労働力なので、その点を改善(後述)しましょう。
もっと楽な方法を編み出したので。
 
 
まとめれば、早く楽に安く塩をつくって海外の安い塩に対抗しましょう。
ということでしょうか。
 
 
ちなみに海外の塩が安いのは岩塩がとれるからです(日本に岩塩は無いとされています)。
また海外では天日塩をつくれるからです(日本は雨季があり天日塩をつくれない)。
 
 
そして、塩づくりが難しい日本(※ 2)が開発したのがイオン交換膜法という塩づくりの方法でした。
ざっくりと説明すると、海水を貯めたタンクをイオン交換膜なる「半透膜」でところどころに仕切って左右から電気を流すと、塩化ナトリウムだけが半透膜をすり抜けて集まって、濃い海水になる技術です(※ 3)。
 
 
つまり簡単に「かん水」を作れるようになったのです(かん水はそもそも話38をご参照)。
あとは昔ながらの塩づくりと同じようにこれを釜炊きすれば塩の完成です。
 
 
こうして昔ながらの手間ひまかけた塩づくりが封印されてしまいました。
聞いた話によると、海水を煮詰めただけで逮捕されてしまう時代だったそうです。
 
 
しかし国民はだまっていませんでした。
昔ながらの塩は美味しいしミネラル群は健康を支えているので禁止はおかしい。
昔ながらの塩がなくなっては困る!
 
 
そうした声があがり、それは消費者だけでなく、作り手側も同じで、「守ろう!」とする同士が伊豆大島に集まりました。

 
今週はここまで。
来週は、法律をかいくぐって塩づくりを守り続けた国民の闘いを書いてみます。
 
 
 
※ 1 伯方の塩、赤穂の天塩、シママースは海外の安い天日塩に日本の海水をまとわせる「再生加工塩」という方法で国から許可をもらいました。
 
 
※ 2 日本は海に囲まれているにも関わらず、実は塩づくりに向いていない国です。
日本で天日塩を作ろうとしても、最後に雨季が邪魔をします。
塩の中のマグネシウムが湿気を吸ってふたたび液状化してしまい、これを繰り返し、最後まで理想の塩にならないのです。

 
※ 3 塩化ナトリウムが集まる一方、ミネラル群は逆方向に抜けてしまうと言われています。
事実、食卓塩・並塩の成分表示は99%以上が塩化ナトリウムです。